信じる、ということ。

大雨警報が出ている。

子どもが家にいる。予定していた自分の予定が狂う。だいぶイライラ。

そこへ輪をかけたように、見てはいけない隠された塾のテストが出てきた。怒りは爆発をします。しました。

でも、しばらくすると何とも言えない感情が湧きおこり、なんだかよくわからないままに、子どもが好きな「バナナケーキ」を焼いた。怒りへの罪滅ぼしなのか?

昔、芦田愛奈ちゃんが言っていた「信じる」ことについての言葉を思い出す。この解釈を知った時に、とても腑に落ちた記憶がある。

今朝の私の態度は、まさにこの「信じる」からきている咄嗟の反応のように思える。

いつも子ども達のことは心から信じているし、信じようと思っている。それが故に、(たかが!)テストの点数があまりにも悪いからといって、期待と違うからといって、実際は受け止められなくなり怒りとなる……。

何にでも動じない「揺るがない自分がいる、自分の軸をもつ」ことは本当に難しい。難しいことが分かっているからこそ、「私は何が起きても、あなた達がどんな振る舞いをしようとも、あなたを受け止める心がありますよ」ということを「信じる」という言葉で、自分に宣言しているのかもしれない。

しかし、現実はなかなかうまくいかず、まだまだ修行が足りないな~と思うことばかり。それでも、やはり「信じる」という言葉は、人を勇気づけ、未熟な者でも一歩ずつ歩くことを後押ししてくれる。これからも自分を信じていきたい。


0コメント

  • 1000 / 1000